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才教ダイアリー

大きな担任の食事に対する思い

投稿日:2015.07.11

 5年2組の担任である私は、食べることが大好きです(体重も相応ありますが...)。「食べる」ということにも思い入れも強いです。


 私は出される食事には、基本的に「おいしくない」とは言わないようにしています。それはこんな考え方です...。例えば、味噌を1つとっても、主要材料「大豆」の生産から、味噌への加工・販売まで、想像すらできない多くの程の人々が関わり、そこには携わった方の思いがあります。そして、最後に心を込めて調理する人がいます。


 以前、真面目に考え・数えたことがありますが、具だくさんである「豚汁」には、生産や流通まで300人以上の人が関わった痕跡があります(私の妄想調べ...)。


 それに野菜や肉は「生命をいただく」などということにも思いを馳せれば、料理一品一品は「自然の恵み、人と思いの結晶」であり、それを一個人が「不味い(まずい)」という言葉で評価するのはおこがましいと思うからです。


もし、私がいわゆる「おいしくない」料理に遭遇した場合は「自分には合わない味だったんだな」などと心の中でつぶやくようにしています。これは「最初から『おいしくない』と言われるために作っている人はいない」という性善説に基づく考え方ですが、自分のために料理が提供されることには感謝できる人でありたいのです。


 また、私の料理への思い入れは、自分が小さいころから、母の調理を手伝ったり、ラーメン店でアルバイトをしていたりすることも関係あるかもしれません。


私は学生時代、豚骨でやや癖のある熊本ラーメンの店で働いていたのですが、身なりの美しい女性グループの一人が、箸で麺を目の高さまで持ち上げ「臭ーい、何この味ぃー!!」と何か汚いものを捨てるように麺を箸から放った残像が、今でも忘れることができません。思い出す度に胸が痛くなるのです。


 さて、自分の話が長くなってしまいましたが、5年2組のみんなには4月当初、ラーメンの話も含め、ここまで書いたような私の食事への思い入れの話をしました。さすがに子どもたちはこんな話をされてしまったせいでしょうか、うちのクラスから給食中に「おいしくない」というストレートな言い回しや、味に関する個人的な批評は聞こえてきません。


 けど、あら不思議...。そういったネガティブな話が聞こえないだけで、食事っておいしく感じるんです。みんな気が付いているかな...。


 主食や汁物などは、盛りの良い時には残ってしまうことがありますが、おかず類がほとんど残量ゼロ(残飯って言葉も何かイヤですよね...)なのは、5年2組の隠れた自慢です。


 「えっ?それは、担任の先生がたくさんオカワリするからですよ。」と、どこからか聞こえてきそうですが、さすがに担任一人では残量ゼロにはなりませんよ!


 そんな訳で5年2組の給食は、毎日おいしく、楽しいです。


 


 小学校5年2組 担任