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才教ダイアリー2021

自分の目で確かめるということ①

投稿日:2021.10.05

2年1組担任



2年生では、2学期に公共施設についての学習を行います。


中でも、子どもたちの多くが利用している図書館について学習を進めてきました。



「公共施設とは、子どもからお年寄りまで、みんなのための場所である」


授業では生活科の先生から、このような説明を受けました。



「みんな」と一言で言っても、地域にはいろいろな人がいます。


赤ちゃん、お年寄り、体の不自由な人、仕事が忙しい人・・・



そんな「みんな」にとって使いやすい場所であるために、公共施設にはどんな工夫があるのでしょう。




「夜しか来られない人のために24時間やっているんじゃないかな?」


「体の不自由な人のために、本を届けてくれたりするのかな?」


「ほかの図書館にある本を借りるには、どうしたらいいのかな?」


「赤ちゃんって、本を借りられるのかな?」



学習を進める中で、さまざまな疑問が出てきました。


この疑問を解決するために、松本市中央図書館へ見学に行きました。




図書館の中の見学は、グループに分かれて行いました。


職員の方の説明を聞きながら、普段は入ることができない書庫や作業場まで見させていただきました。


大正時代から保管されている新聞や、電動書庫に感動する子どもたち。


大事だなと思うことは、しっかりメモも取っていました。




自分の目で確かめるということ①


自分の目で確かめるということ②

授業の板書

作業室(上)と電動書庫(下)

保管されている昔の新聞

「軌跡」

投稿日:2021.10.02

 9年生にとって最後のさいきょう祭が迫ってきています。毎年、9年生の演目は、今までに培った技術や表現力を詰め込んだ総合的な演目になります。今年度のさいきょう祭は、昨年と同様に規模を縮小しての開催ということで、9年生の出演は学年の演目のみ(通常は全校合唱や中学生合唱があります)です。舞台に立つ回数は少なくなりましたが、その分一点集中で、一人一人が精一杯演目練習に励んでいます。


 今までは教師主導で行うことが多かった練習ですが、今回は生徒主体で行っています。練習の段取りや内容、演目のタイトル決めなど、それら全てを自分達で行うことは思った以上に大変だと実感を抱きつつ、その一方で大きなやりがいも感じているようです。



 さて、ここにきて私が感心しているのは、9年生が月1回のペース(多い時には2回)で実施されるテストや模試にも、全力で取り組んでいることです。


 言わずもがな、9年生は受験生ですから、勉強を頑張るのは当たり前です。しかし、受験勉強とは別にさいきょう祭に関すること、さらには生徒会における活動でも先頭に立ち、後輩を率いていかなければいけません。端から見てもやることが多いと感じますが、一切の弱音を吐かずに、何に対しても真摯に全力で取り組む姿は、後輩達にはもちろん、私を含む我々大人にも非常に良い影響を与えてくれているのです。



 そんな素晴らしい姿を見せてくれている彼らですが、かつてはいろいろな場面でメリハリをつけられず叱られたり、人の気持ちに寄り添えず自分中心で物事を考えてしまったり、指示されないといつまでも動くことができなかったりと、学年全体で苦労した時期がありました。


 それでも、9年生は才教学園での様々な経験を通して少しずつ成長し、そうした時期をも自らの糧として今の素晴らしい姿を作り上げてきました。そんな彼らを見ていると、中学校課程3年に渡って担任をしている私にとっては、実に感慨深いものがあります。




 最後のさいきょう祭。



 自分達で考えた演目のタイトルは、「軌跡」。



 才教学園で過ごし成長した姿を堂々と披露できるよう、本番に向けて今日も努力を積み上げます。



9学年主任

リーダーが指示を出し、さいきょう祭の練習が進む

日々の学習も、変わらずしっかりこなしている

「勉強が大好き!ノートやiPadは、わたしの大切な学習道具!」②

投稿日:2021.09.28

計算大好き!


 みんな、計算名人を目指して頑張っています。


 1学期は、たし算カード、ひき算カードを使い、休み時間までノートを開いて学習していた子もいました。その子のノートは計算問題で埋め尽くされ、すごい勢いで1冊が終わるので、私も周りの子どもたちもビックリでした。ある時、その子が最後のページの最後の1問をやり終えると、みんなから拍手と歓声が挙がりました。頑張る友だちを称賛する、そんな微笑ましいできごとでした。


 1年生で恒例となっている「本読み計算」の新記録更新を目指したり、iPadでの計算練習に喜んで取り組んだりと、みんなは計算も大好きです。



観察大好き!


 生活科ではこれまでに、オタマジャクシやカブトムシの幼虫、そして自分のあさがおなどの観察をしてきました。あさがおの自家受粉を学ぶと、夏休みに鉢ごと持ち帰ったあさがおのめしべとおしべを細かく観察し、ワークシートに写真入りで記録してきた子がいました。絵日記に、好きな昆虫について、不思議に思ったことを研究して書き記してきた子も。


 先日、虫探しのために構内を散策したところ、ショウリョウバッタやキリギリス、コオロギなど、たくさんの虫が見つかりました。授業が終わってからも、「先生、ぼく、虫を観察して絵を描きたいです!」と、嬉々として自由帳を広げ、休み時間まで観察を続けた子がいたのです。



◆◆◆◆◆



 自分が知ったこと、分かったこと、学習したことをノートに記していくことこそが真の学習だと実感できる、そんな1年生の様子をとても頼もしく、嬉しく思います。



1年2組担任





「勉強が大好き!ノートやiPadは、わたしの大切な学習道具!」①


「勉強が大好き!ノートやiPadは、わたしの大切な学習道具!」②

iPadアプリを使って計算練習をしています

朝顔の観察日記

みんなで虫探しをしました

「勉強が大好き!ノートやiPadは、わたしの大切な学習道具!」①

投稿日:2021.09.28

1年2組担任



漢字大好き!


 2学期が始まってすぐのこと。「ぼく、早く漢字の勉強がしたい!」と話す子がいました。1年生の漢字学習が始まるのは2学期からですが、夏休みに自主的に勉強を始めていたようで、学校での学習が始まってからというもの、とても楽しそうに一生懸命取り組んでいます。漢字ノートには、実に綺麗な文字が並んでいきました。


 また、2学期になってからは一人ひとりのiPadにダウンロードした漢字のアプリをどんどん利用しています。画面上に指書きをすると、書き順や字形について、なかなか厳しいチェックが入ることも。みんなが夢中になって学習するので、効果的な学習方法の一つになっています。



ことわざ大好き!


 『先達に学ぶ発表会』では、あいうえお順、カルタのようにことわざの学習をしています。


「あんずるよりうむがやすし」


「いそがばまわれ」


「うまのみみにねんぶつ」・・・


 発表の後、私が黒板にイラストを描いて説明を加えると、「そういうことか!」と声が挙がることもしばしば。最後は各々、自分のノートにイラストを添えて書き取りをします。この『先達』のノートも大切な学習道具、宝物のひとつです。




「勉強が大好き!ノートやiPadは、わたしの大切な学習道具!」①


「勉強が大好き!ノートやiPadは、わたしの大切な学習道具!」②

iPadのアプリを使った漢字練習と日々の積み重ねがわかるノート

『先達に学ぶ発表会』ことわざを学習しています

国語の授業より④ ~中学校3年生・後編~

投稿日:2021.09.27

国語科担当・6学年担当



「故郷」の批評 その3


 この作品は『希望』とは何かということを問い掛けている。希望を持つことが難しくなった社会の中で、主人公は多くの絶望に直面しながらも、最後には希望についての答えを導き出し始める。


 この作品では、その過程においての情景や主人公の心情が細かく描かれている。そうすることで主人公の胸中の虚しさや時代に対する絶望、そして微かな希望も上手く表現されている。主に描かれているのは、私とルントウの過去と現在の関係性についてだ。大人になったルントウに対して、主人公は何を望んでいたのか。子どもの頃のような無邪気なルントウに会いたかったのだろうか。結果として主人公は、昔とは似ても似つかない『でくのぼう』のようなルントウと再会し、大きなショックを受ける。まるでルントウの変わりぶりを批判しているようにも読めた。確かにルントウは変わった。しかし、主人公も同じように変わってしまったのではないだろうか。辛い時代の中で変わった多くの人達と同じように。


 作中(とかつての現実の中国)で、辛い生活や貧困を強いられてきた人々は、疲れ切り、少なくとも昔よりも悪い感じに変わってしまったように見える。私は、そのような描写に絶望しながらも、どうしたら昔のままで居られたのだろうかと考えた。他人のものを奪わずに互いに助け合っていたら、もっと気持ちに余裕を持てていたら、正解は分からないけれど、何か他の道があったのかもしれない。そして、それは主人公も同じだったと思う。


 最後に主人公は、次の世代に主人公たちとは違う未来が来ることに希望を抱いた。この希望は叶いにくい。しかし、主人公は、希望は道のようなものだと言っている。『叶うように行動すべきこと』が筆者にとっての希望なのではないだろうか。


 この作品の主題である「希望とは何か」という問いは、現在の社会でも必要だと思う。ただでさえ暗いニュースが飛び交う日々に、近年には新型コロナウィルスが加わり、希望を失いかけている人も多い筈だ。しかし、『希望はあるものともないものとも言えない。それは地上の道のようなものである。歩く人が多ければ、それが道となるのだ。』筆者が言うように、ただ待つだけではなく、自ら希望を探し、見つけていくことも大切なのかもしれない。



*******



 いかがだったでしょうか。


 現代で生きる我々(大人)が読んでも、はっと胸を突かれるような文章を、魯迅の作品を読んだ若者が書いています。国と民衆の幸福を目指して戦い続けた魯迅のように希望を追い求め、そして魯迅の願ったような未来を過ごせる社会の中で若者が成長していけることを、今後も切に願っています。



『やまなし』『故郷』は、青空文庫などでも無料で手軽に読むことができます。


ぜひ読んでみて、子ども達の意見と自分の考えを較べてみてください。



①小学校6年生・前編


②小学校6年生・後編


③中学校3年生・前編


④中学校3年生・後編

国語の授業より③ ~中学校3年生・前編~

投稿日:2021.09.27

国語科担当・6学年担当



 小・中学校課程の最終学年である9年生(中学3年生)では、中国清朝~中華人民共和国の時代を革命の中で戦い続け、国と民衆を動かしてきた、魯迅(ろじん)作の中国文学、「故郷」の単元に取り組んでいます。これも、全ての出版社の教科書にずっと掲載されている作品です。「やまなし」とは別ベクトルで非常に難しい小説で、恐らくこれを読んで「おもしろい!」と感じられる人は、ほとんどいないのではないでしょうか。


 当時の時代背景や本文そのものの学習をじっくりと行った上で、この作品について『批評文』を書く活動を行いました。ただ批判すれば良いというわけではなく、今よく言われている『批判的思考(クリティカル・シンキング)』を意識しつつも、作品のことを十分に理解した上で、その価値や特性、現代社会との繋がりを語る活動です。さすが最高学年ともなると、9年間培ってきた文章力、思考力が如何なく発揮され、早い生徒は15分ほどで素晴らしい批評文を書き上げることができ、驚きました。長くなりますが、3名分をピックアップして、全文を掲載します。



「故郷」の批評 その1


 この作品の価値は、この作品を読んだ人々に行動を起こさせる、ということにある。当時の荒れ果てた中国を立て直すために、民衆を動かすほどの力を持った作品だと言える。


 この物語はとても情景描写が細かい。現実の「鉛色の空」や回想の「紺碧の空」との対比など、詳しく述べることで、読者自身の昔の情景をも思い出させ、理想とする世界との対比もしやすくしている。また、登場人物の行動等も細かい。特にヤンおばさんは、物を盗んでいった時の走り方などの様子も細かく描かれている。ヤンおばさんの行動は良くないように思われるが、それが当たり前の光景となっていた当時の読者層に、皮肉に滑稽にその姿を知らせている。


 魯迅は、これを小説として書くことで、民衆に客観的な視点を持ってもらい、自分達の生活を見直すことを薦めたと思われる。知識が無くても誰でも読めるように工夫して書いている。途中に出てくる「チャー(穴熊)」等の長い長い描写は、私には物語の重要な鍵とは思えないが、より身近な現実味を持たせたかったのではないだろうか。


 現在も、問題がそこらじゅうに転がっている。中国だけではなく日本、世界には、解決しなければならない紛争、格差、環境問題などがある。しかし、私たちは目を背けているように感じる。この世界を魯迅が見たら、どう思うか? 我々に現実を見て、自分たちで解決することを促すだろう。物語にもあるように、自分たちで道を作ることが必要であると思う。希望を持って、自分たちで変えていかなくてはならない。



「故郷」の批評 その2


 この作品の主な登場人物、「私」とルントウとヤンおばさんには、大きな壁が生まれていた。「私」が幼い頃は、故郷はとても美しく、晴々として未来に希望を持てる描写となっていた。しかし、大人になってからの描写では、悪化する社会の状況や、お金等への欲望にまみれて、広い視野が失われていっている。私は、主人公の行動も、ルントウやヤンおばさんとの関係に「壁」ができるきっかけとなったのではないかと感じた。「私」の行動は、ヤンおばさんを「コンパス」と心の中で呼び、わざと自分とヤンおばさんの間に距離を作ったり、「でくのぼう」のようになってしまったルントウを見て残念な反応をしたりしている。美しい過去にすがりついていたとも言える。「私」が「壁」を超える努力をしたり、もっと頻繁に故郷と関わりを持ったりするべきだったのではないだろうか。


 この作品のキーワードである「希望」は、手の届きにくいところにあるが、希望に頼ったり、持ったりすることで、皆が幸せに向かえる大切なものだと感じた。そして何より、そうして皆が一緒の方に向かい、今を変えようと行動をすることが重要だと私は思った。今、世界ではあらゆる場所で、小さな誤解や偏見から生まれた争いが起きている。私は、皆でもっと視野を広げ、団結し、世界を変えようと努力することが大切だと思う。



①小学校6年生・前編


②小学校6年生・後編


③中学校3年生・前編


④中学校3年生・後編

国語の授業より② ~小学校6年生・後編~

投稿日:2021.09.27

国語科担当・6学年担当



 初見で、賢治が大の石好きだったことに何となく気付けていたり、多彩な表現のよさ・描写や展開の謎に踏み込んでいたり、幻灯・五月・十二月という大事な要素とその不思議な雰囲気にも目を向けていたりと、今後の授業の幅が広がる感想がたくさんありました。



 以下は、その後に少し予備知識を入れてから取り組んだ、気になって仕方のなかった「クラムボン」についての考察です。仲間とも交流しながら、考えとその根拠を言葉にまとめていきました。



◆クラムボンは、太陽のことだと思います。その理由は、かにの視点から魚が上にいる時は『死んで』いて、魚がどこかに行ったらすぐにまた「笑って」いるからです。遮られたりまた照らされたり。その直後に「日光の黄金」についての表現が続いているのも理由です。



◆クラムボンは、プランクトンなどの微生物のことかもしれません。「魚がお口を輪のように円く」してきて食べられてしまったり、1匹だけではなくたくさんいるのでまた笑っていたり......死んだり、笑ったり、魚に取られてしまったり、それを悪いことと言っていたりします。



◆クラムボンというのは、かに達でいうところの「泡」だと思う。泡が生まれたり、水面へ行って消えたりといったことを「笑った」「死んだ」などと表現しているのでは? 「かぷかぷ」は泡の音。5月にしか言っていないので、語彙力が無くてそう表したのでは? 父も言っていない。かに兄弟の泡の比べ合いのシーンがある意味にも繋がると思う。



◆クラムボンは、『クラム』は、英語で貝という単語だから、貝に関係した何かだと考えられます。かぷかぷという擬音語も、二枚貝だとしっくりくる気がします。



◆クラムボンは、かに達やイーハトーブの空想の生き物のことで、特に正体は無いと思います。兄と弟が、それで言葉遊びをしていて、弟は結局「知らない」と言っているような流れ? 兄が「知らない」と答えている? どちらが何を言っているか分からないように書いている。



◆クラムボンは、かに達の母か、他の兄弟姉妹のことだと考えました。なんで死んだのか、どこに行ったのかよく分かっていない感じがします。「こわいところ」の話も、子ども達にはよく理解できていませんでした。配布された「永訣の朝」で出てくる、賢治の死んだ妹を重ね合わせているのかもしれません。



◆クラムボンは、『生きる』『死ぬ』ことのイメージ?のようなものだと思う。5月は生き物の目覚めや誕生をイメージするけれど、ここでは『死』のイメージの方が強く感じた。魚がカワセミに食べられてしまったり、白いかばの花が散っていたり......やまなしの実が落ちてきて、そのうち腐るところも何か関係していそうに思う。



 描写や情景にはしっかりと目を向けながらも、一人ひとりがしっかりと意見を持っていますね。この単元での授業は、もう少し続けます。これから、更に文章を読み解いて、どう学びが深まっていくのかとても楽しみです。



①小学校6年生・前編


②小学校6年生・後編


③中学校3年生・前編


④中学校3年生・後編

国語の授業より① ~小学校6年生・前編~

投稿日:2021.09.27

国語科担当・6学年担当



※宮沢賢治著『やまなし』、魯迅著『故郷』をお読み頂くと、子ども達の考えに一層近付けます。


※「国語の授業より」は、全4回でお届けします。


*******



 国語の教科書に掲載されている単元は、時代と共にブラッシュアップされていきます。しかし、核となる単元は30年も40年も変わらず掲載され続けています。小学校では『おてがみ』『スイミー』『ちいちゃんのかげおくり』、中学校では『少年の日の思い出』『走れメロス』『盆土産』など......大人の方々の記憶の片隅に残っているお話もあると思います。



 さて、小学校課程の最終学年である6年生は現在、宮沢賢治の「やまなし」の単元に取り組んでいます。クラムボンは笑ったよ、といえば、誰もが思い出す話かと思います。おそらく9年間を通して、最も「よく分からない物語」なのではないでしょうか。



 クラムボンって何? なぜやまなし?


 実は賢治自身、『注文の多い料理店』の序文などで、【これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。】と語っています。


 現代っ子からはそれに対して、「答えがないんじゃ、考えても意味が無いのでは?」「『それってあなたの感想ですよね』って言われてしまいます!」といった反応も返ってきましたが、この単元はSTEAMでいうところの『Art』的な感性に近いものだと感じています。人間にできて、AIにできないこと、としても『決まった答えのない中で考える、想像する力』は注目されています。答えがないことを楽しむ、という前提で、最初に読んでみての感想を書いてもらいました。



◆幻灯や水銀、黄金などの表現がとても美しくて、物語を読んでいるような、詩を読んでいるような、不思議な感じでおもしろいなと思いました。鉱石の名前などがたくさん出てきて、賢治は石が好きだったのかな、と思いました。最後まで読んでも、宮沢賢治は結局何を言いたかったのかと、よく分からないままでした。



◆この作品は、カニから見た情景で表されていました。そして波の動きなどを、言葉だけでどこまで表せるか頑張っていると思いました。意味がよく分からない言葉の中で、「やまなし」「かわせみ」などハッキリした言葉も出てきている中で、バランスが取れているように感じました。わざと分からないようにまどろっこしく書いているようでスゴイです。他の人がクラムボンをどう思っているかも聞いてみたいです。



◆クラムボンが何なのか気になりました。このお話の全てが「幻灯」の中を文章にしたものというところが宮沢賢治らしいと思いました。五月・十二月それぞれの時の場面を詳しく書いてあり、情景を想像しやすかったです。ちょっと「不気味」な話に感じました。魚が何を『取っている』のか気になりました。やまなし、水晶のつぶ、金雲母のかけらなどを見てみたいです。何だか話が途中で切れているような感じがして、その後のことが気になってしまいました。



①小学校6年生・前編


②小学校6年生・後編


③中学校3年生・前編


④中学校3年生・後編

栽培育成の始まり

投稿日:2021.09.21

 小学2年生の担任を受け持ち、中学生に技術科を教えている私。


 ある日、中学2年生の授業に向かおうと教室を出ようとすると、


「先生、いってらっしゃい! 今日は何を教えますか?」


 私は、次のように答えました。


「土を使わずに野菜を育てる方法、ですよ。」


 すると、一同騒然!


「え、それで育つんですか? 本当に本当ですか??」


「なんで、なんで? どうして?」


 興味をかき立てられた2年生は、矢継ぎ早にさらに質問を浴びせてきます。1学期にプランターに土を入れて野菜を育てたみんなには、私の答えがとても意外なものだったのでしょう。


 場を落ち着かせ、教室を後にした私の耳に届いたのは、ワクワクでいっぱいのつぶやきでした。


「中学生ってすごいな。早く大きくなって、やってみたいな。」




 いざ中学生の授業で「水耕栽培」の説明をすると、2年生ほど驚きはしませんでしたが、興味深い様子を隠すことなく、しっかり話を聞いてくれていました。


(6歳差のリアクションの違いがなんだかおもしろく、思いがけず楽しい経験をさせてもらいました。)



 さて、水耕栽培にメリットが多いことはみなさんも知っているかと思います。


 土壌作りをしなくて良い、病気になりにくい、害虫の影響を受けにくい、成長の管理がしやすい、短時間で収穫できる、などがあります。天候にあまり左右されることなく、広くない場所でも大量生産ができ、1年を通して安定した収穫が可能な水耕栽培は、今後一層増えていく栽培方法のひとつだー―と思い、授業に取り入れています。


 初回の授業では、培地となるスポンジの切れ込みにリーフレタスの種を1粒ずつまきました。


 水に浸した種と浸さなかった種で発芽の様式はどう変わるか、という対照実験用の準備も進めながら、スポンジに水を吸わせてこの日の作業は終了です。


 ときに相談しあって種まきにいそしむ中学生から聞こえてきた、訝しげなつぶやき。


「これで本当に育つの...?」



 11月には収穫を楽しめるよう、しっかり観察し成長を見守っていきます。



小学校2年2組担任・中学校技術科担当

スポンジの切れ目にレタスの種を入れています

スポンジに水を含ませています

対照実験用の準備も協力して行いました

2年3組、クラスのため学校のために「ゴミ拾い」

投稿日:2021.09.17

 コロナの影響を受け、たくさんの学校行事が延期もしくは中止になっています。2年生が生活科で行っていた廃品でおもちゃを作って売る『さいきょう商店街』も延期となりました。夏休みに何個も商品を作り、さいきょう商店街でそれを売ることを楽しみにしていた子ども達は、本当に残念そうです。しかし、自分のためでなく周りの大事な人に感染させないために、みんなで我慢の時だと思って感染予防に努め、その中でも楽しいことを見つけながら過ごしています。



 少し前のこと、私が学級活動の時間に「さいきょう商店街が延期になったのは残念だけれど、みんなでできる"何かいいこと"を見つけませんか。この1時間の中でクラスのためにできること、学校のためにできることはないですか。」と聞くと、子ども達から良い意見がたくさん出ました。


「けがをした人を助ける。」


「落ちているものを拾ってあげる。」


「ゴミ拾いをする。」



 よい意見が出たので、ゴミ拾いをすることになりました。その時点で授業の残り時間は20分ほどになっていましたが、できる範囲でゴミ拾いをしました。


 校舎の周りを歩くと、どこから飛んできたのかわからないようなものが落ちていました。わずかな時間でしたが、たくさんのゴミを拾うことができました。図らずもいろいろなものに触れてしまったので、しっかり手洗いと消毒をして教室に戻りました。


 その日の掃除は、みんないつもより更に真剣に取り組んでいました。



 その後、子ども達に感想を聞いてみました。


「どうしてゴミを捨てるのかを知りたくなりました。」


「どうせ捨てるならゴミ箱に入れればいいと思いました。」


「捨てた人ではなく他の人が拾うことになるから、とても迷惑だと思いました。」


「ゴミが川に入ると魚が困るから捨てない方がいいし、道路とかに落ちていると歩くのに邪魔になるし、何もいいことがないと思いました。」



 みだりにゴミを捨ててはいけないことは誰でもわかっていますが、「どうして平気で捨てるのか理解できない」というような発言もあって、嬉しい驚きでした。自分の不利益だけでなく環境のことも考え、果ては魚やカメやクジラのことを心配する子ども達のやさしさに感心しました。


 最後に、私から、こうしたゴミが増えないようにするには、みんなが捨てないこと、周りの人にゴミを捨てないよう発信し続けることが大切だと話をしました。



 子どもたちには、学校でも社会に出ても、人のことを考えずゴミを捨てるような自分本位な人間にならないように、周りの人の気持ちや行動を考えられる人になってほしいです。



2年3組担任

草の多いところにもさっと分け入る

フェンス際も、ゴミがないか丁寧に見ていました